
1968年にJAL養成パイロットの一期生として入社してから42年。羽田が世界への窓、日航は「ナショナルフラッグキャリア」として鶴丸を背負って世界に羽ばたいていた時代だ。新入社員のとき、かつて海外出張すると、上司が羽田に見送りに来るのが普通だった、というのを聞いたことがある。そんな時代、海外では鶴丸は安心とイコールだっただろう。まだ英語もろくにしゃべれなかった新入社員のころ、帰国時に日航に乗ると「もう日本だ」とどれほど安心したことか。こんな経験をした人も多いのではないだろうか。
先週もアメリカ人の同僚がサンフランシスコから着ていたが、乗ってきたのはJAL。「サービスが違うからね」と選んだ理由を話してくれた。社会人になってからずいぶん多くの海外出張、海外赴任も経験したが、そのほとんどはJALだった。ビジネスでもバケーションでも数多く乗ったが嫌な思いをしたことが無い。偉大なキャプテンの遺伝子を次世代にもつないで欲しいと切に思う。