

林華泰茶行は台北にある茶問屋。高さがドラム缶のような大きな茶筒にお茶がぎっしり。小種烏龍茶も凍頂烏龍茶も茶葉を買うのはいつもここ。今度は、烏龍茶三兄弟のうちから東方美人茶。一斤1,000元だったから100gで470円。茶葉は東方美人茶お約束の縮れと白い繊毛、缶を開けると紅茶のような香りがたつ。煎れてみると薄い茶色で丸みのある甘くて深い味。茶を開けて香りを聞くのがいい。柔らかい澄んだ爽やかな香りはさから、のどかで明るい田園風景が浮かんでくる。
ハーレーの楽しみに、ピカピカがある。パーツをクロームに変えたり磨いたりする。ハーレには「見るもの・見せるもの」というジャンルがある。カスタムビルダーがたくさんいるし、コンテストもある。
日本全国味噌を作っていないところはないということだが、秩父では大豆と麦がとれたことから麦みそを作っていた。この秩父味噌に茄子と生姜を入れてなめ味噌として完成させたのが、「秩父おなめ」。皆野町で昭和4年から味噌作りをしていて、今や食品スーパーも経営している新井武平商店のもの。秩父ツーの時に買ってきて、すっかり忘れていたのを、開けて食べる。
テレビで紹介されていた店が金森レンガ倉庫にあっるので、買ってみる。

杭州はお茶が名産。 西湖龍井は特に有名。 中国の緑茶である。日本とは製法がちがうのか、茶葉は縦にたたまれていて、色は白みを帯びた緑。「銭糖産区 特級」である。
で買ってきた蓋付きの茶碗に茶葉をいれて湯を注ぐ。薄い黄緑色がきれいである。
朝から半日のツーリング。眺めが良く、新年だからご利益もありそうなところを一巡り。
で降りてR409で少し走ったら笠森観音だ。784年の開基。重要文化財の懸造りの観音堂は1028年の建立だから980年も前、源氏物語の時代のこと。日本唯一の四方懸造で、岩山の頂上に覆いかぶせるように立っている。回廊は目が回るほどの高さ。昭和30年代に大修理をしたとあるが、まだ建立当時の床板も残されている。
2月末までハーレー貯金箱がもらえる。氷の壁を突き破って飛び出すソフテイルクラシックにまたがったライダーの写真にある間違い探しが条件。
毎週のように中国に出張していたことがある。食事はもちろん中華のみ。仕事と言葉のストレス解消は居酒屋めぐり。実際に行くのではない、この本でバーチャルにやるのだ。
ハーレーは普通のバイクと違って、年寄りを大切にする。エンジンの昔気質のOHV空冷Vツイン。1936年からずっと同じ形式だから骨董的価値もある? 値段が高いから購買年齢も高かった経緯もあるのだろう。古い人が偉いのがよく判るのが、イベント。例えばブルースカイヘブンなんかに行くとワッペンをベタベタ貼り付けたベストを着た「ハーレーおやじ」が大きな顔をしている。ワッペンが沢山ついているほど偉いのだ。
子持ち鰰を鍋にすると卵がヌメッとして、たいそう旨い。この鰰の卵が「ぶりっ子」。ぶりっ子を練りうに出会えたのが「ぶりっ子うに漬け」である。 鰰と練りうに、どちらも大好物だからまずいはずが無いと秋田で購入。
ポーレイ茶は餅茶が好みだ。「雲南餅茶」をいつも使うのだが、これは砕くのが面倒くさい。
三つの常識を変えたコマーシャルをクリエイティブ・ディレクターの野村が仕上げるまでの戦いを描く。
HOG Magizineは年に4回発行。申し込みをすると日本語版と一緒に送ってくれる。開くとアメリカの雑誌の匂いがして懐かしい。
長崎名物の卓袱料理は食べたことが無い、が、角煮は王様のように真ん中に「
どおぉん」と居座っているに違いない。吉宗は長崎料理の名店だから、ここの角煮は「大王様」。
栃木刑務所で二度の懲役刑を務めた女組長が体験した刑務所。塀の中の生活と、極道として生きた半生がうまく組み合わされて語られる。
ディーラーで見つけたハーレーベアを乗せてるウルトラ。フレームのついた帽子、皮ジャン、チャップスと、ライダーウエアで決めてカッコいい。
タイ料理の旨さは、賄い料理やネコまんまの旨さと同じだ。鋭い包丁さばきによる料理と器との組み合わせを目と舌で味わう懐石料理、ソースで勝負するフランス料理、多彩な調味料と材料を駆使する中華、これらとは正反対だ。気取らないからこそ、ご飯におかずをかけてむしゃむしゃ食べられる気楽さも旨さの要素であるに違いない。
東京山手線、中央線と城東地区の定食屋食べあるき。ターゲット駅周辺の食堂を手当たりしだいに食べ・飲み回る。 汚く、マズそうな店ばかりハシゴし、最後には泥酔という体を張った体育会系の突撃スタイルは、ユルイ文章でまったりと発酵し、いい味になっている。 わざわざ行くことはないが、たまたま昼時にいたら行ってもいいかな?程度には食欲を動かす。
はじめて魚の糠漬け知ったのは
檀太郎の「自由奔放クッキング」。鰊の糠漬けはひどく塩辛いので塩抜きし焼いてもうまくはないのだが、三平汁にすると絶品、と教わる。発行が昭和62年だから20年以上も前のこと。食べてみたいと思ってみても東京では見かけることはなかった。