2009年4月18日土曜日

バナナは皮を食う

暮らしの手帳創刊号から38号(昭和23年から32年)に掲載されたエッセイを壇ふみが選んでまとめたもの。
今流行の「昭和」ではない、もっと前の昭和。戦争が昨日の出来事で、明治こそ思い出となったが、昭和初年や大正は地続きである、そうした時代の「食」は生きることに直結していた。おむすび、漬物は子供のころ、故郷の味である。しゃけの頭、おこげの香り、長く続いてきた食の系譜は昭和が終わる前に途絶えてしまったことがわかる。
皆が貧しかったわけではない、書き手の多くは時代の先端人、碩学であり、留学、外遊経験を持つものも多い。武者小路公共がベルリンでソーセージを食べスケートをしたのは明治44年のことである。 堀口大學がブカレストの仮面舞踏会にいたのは1924年というから大正13年。彼はニューヨークでクラムを肴にシャトー・ディケムまで飲んでいる。
すごいのは小倉遊亀。1895年(明治28年)生まれの画家は「ついに太陽をとらえた(読売新聞社・1954年)」からとして、「一年もたてば体を構成しているすべても元素は今までとは全く違った連中によって置き換えられているのだ」と書き、身体と記憶の不思議を語っている。入れ替わりは福岡 伸一から教えてもらったが、50年りも前から知っている人もいたのだ。
幕の内は幕下だ(サトウ・ハチロー): ★★★ (駅弁などで一般的な幕の内、何も弁当に懐石を持ち込まなくても良いぢゃないか。まずいともいってる。 納得)
上海の精進料理はうまい(池田成彬): ★★★ (一度杭州で食べたことがあった。うまいことより、肉を使わずに同じ味、食感を作る技にした)